教えない教育について

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最近、教えない教育というのが流行っているのか、何かと耳に入って来たりします。別に教えることだけが教育だとは言いませんが、教えない教育というのは言葉がひとり歩きしそうでイヤだなあと思います。

教育の目的として、生徒本人ができるようになるというのがあります。ですから、何でもかんでも教えていてはいけません。生徒が分からない部分を見つけ、細分化し、スモールステップに乗り越えるさまを見せる。それが教育のあるべき姿ではないかと思います。

性悪説ではありませんが、生徒がいつも模範的な行動をとるかと言われれば疑問です。間違いは赤で写して終わりにすることもあるだろうし、良くない点数は隠したりすることもあるでしょう。だからこそ指導者が必要であって、ちゃんとやっていることを確かめるのも一つの仕事だとは思います。

とはいえ、それを「教えない」と称することには違和感を覚えます。確かに教えてはいないのですが、それは結果としてそうなるのであって「教えない」と称するのは何か違うように思えます。

教えることと教えないことは教育の手段であって、どちらもバランスが大事だと思います。生徒の理解度に応じて質問を変えていくように、教えることと教えないことは状況によって変わっていくことだと思うのです。

教えることと教えないことはどちらが難しいのかと言えば、圧倒的に後者の方が難しいです。人はそもそも教えたがる生き物だと思います。知っていることは話したいし伝えたい。ですから、教えることは自然であって、それが伝わるかどうかを別にすれば特段難しいことではありません。

一方、教えないことはもっと抑制的である必要があります。できることをあえてしない。教えないわけですから、場合によっては批判の対象にすらなる中で、教えないことは高等技術だと思います。

そこまで考えて言っている、あるいは実践しているなら良いのですが、教えない教育だから疑問質問は持ってくるなというなら、それこそ成長の機会を奪っているわけで、本末転倒な結果になるんじゃないでしょうか。

まあ何事もバランスだと思うのですよ。あんまり極端な命名って良い結果を生まないんじゃないでしょうか。

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