天正遣欧使節はご存じの通り、キリシタン大名たちがローマ法王に送った使節団です。授業をしているときにテキストに書いてあって、4人中2人しか思い出せずにスルーしました。
中心になるのは4人の少年です。伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。このうちの前2人しか思い出せなかったのですね。
名前を調べたついでにウィキペディアを見ていると、のちのバテレン追放令のおかげか、みな大変な人生を送っているようでした。
その中で千々石ミゲルは後に棄教と書かれていて、キリスト教を捨てた理由が気になりました。
その中で見つけたのがこの記事です
《第9回》千々石ミゲルは本当に「信仰」を捨てたのか―天正遣欧少年使節の謎に迫る【後編】
「天正遣欧少年使節」の中で最大の謎とされる千々石(ちぢわ)ミゲルの後半生。4人のメンバーの中でミゲルだけがイエズス会を脱会し、棄教したと伝えられる。だが、そうした“定説”に疑いを抱いた石造物研究家の大石一久さんは、ミゲルの遠い子孫にあたる浅...
面白いのでぜひ読んでほしいのですが、千々石ミゲル夫妻のものと思われる墓を探索したらキリシタンの遺物が出てきたので、ミゲルは本当は棄教していなかったのではないかというお話です。
歴史って面白いなあと感じたお話でした。
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