授業動画は指導全体を代替することはできません。それでも、動画を撮り続けるのはそれに価値があると信じているからです。
授業動画はいわば「分身」です。同じことしかできないが、予想外の行動は起こさない。そんな存在なのですね。
昔は説明することが指導だと思っていました。それは、指導の一部でしかありません。分かっていることを定着させることこそ人間がやるべきで、そのために自律学習ができる環境を整えたい。そのための動画なのです。
同じことだけやらせるなら「分身」は便利ですね。問題なのは撮るのが大変なことくらいでしょうか。
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